コスチュームジュエリーの歴史 & ジュエリーブランドサイン集 A~Z、数字
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コスチュームジュエリーの歴史1920年代~1970年代
コスチュームジュエリーの歴史1920年代
19世紀はウエストがキュッとしまったドレスが多く、コルセットで締めすぎが原因でよく失神していました。
その後シャネルは、着心地の良い服を作り出し、また「トータル・ルック」という一着の服よりもコーディネート
を重視し、アクセサリーで効果的な着こなしを提案します。
ロングのフェイクパールネックレスやガラス、羽の付いたヘッドドレス、ガラス細工できらきら輝く
バックや靴、ブレスレットを身に付けていました。
コスチュームジュエリーの歴史1930年代
第一次世界大戦以降、女性たちは社会に参加しコスチュームジュエリーが天然宝石に変わって着けられ
るようになりました。
女性がスポーツしだしたのもこの頃で、手首につけるレザーブレスレットなど新しい商品も登場しました。
リゾートでは木製ネックレスやブレスレット、綺麗なカラーガラスやメタルのネックレス、ペンダント
など、遊び心のあるコスチュームジュエリーを付けた女性が増えてきました。
それまで、コスチュームジュエリーは、独自の流通販路を持っていませんでしたが、1930年10月に、
初めてパリでコスチュームジュエリーだけの展示販売会が開催され、イギリスやベルギーからバイヤー
が集まったそうです。
ファッション誌では、ヴァン・クリーフ&アーペルの本物の宝石の隣に、スキャパレリのコスチューム
ジュエリーが掲載される現象も起こり始めました。
コスチュームジュエリーの歴史1940年代
1939年第二次世界大戦が始まりましたが、メゾンを閉じるクチュリエばかりではなく、雑誌「ヴォーグ」
は発刊を続け、オートクチュールの存在を支えました。
しかし、パリはナチスに占領され、モードの動きは停滞してしまいます。
一方、アメリカではニューヨーク万国博でデュポン社が初めて、ナイロンストッキングを発表するなど、
ファッションの話題につきませんでした。
終戦2年後の1947年、それまでの服から脱却するかのようにディオールはエレガントなスタイルを発表します。
「ニュールック」と呼ばれました。
コスチュームジュエリーもファッション同様女性らしさにあふれ、自然から取り入れられた鳥、ハチ、
虫、フクロウ、花々、バタフライなどカラフルな色彩のジュエリーが登場します。
ハイウェストの優美なファッションが復活し、服に合わせてジュエリーも自然から取り入れら
れた貝殻など優しさのあるジュエリーが登場します。
夜のイヴニングドレスには、首にフィットするフェイクパールやチョーカー、シャンデリアのような大き
く華やかなイヤリングも出てきて人気になりました。
コスチュームジュエリーの歴史1950年代
ファッションも石油化学系の服が増え、ディオールの「ニュールック」といわれる、スカートを膨らませる為ナイロン製のペチコートが使われました。
その後1955年に、シャネルがシンプルなスーツを発表し大ヒットし、コピーが出回るほど。
50年代はファッションの関心が高まり、同様にコスチュームジュエリーがフランスでもアメリカでも盛
んに作られるようになります。
そして、フランスはスキャパレリのジュエリーを手がけていた、コッポラ・エ・トッポなどコスチューム
ジュエリーの製造者パリュリエという職業が脚光を浴びるようになりました。
戦時中の暗い雰囲気を払いのけるかのように、白い輝きのガラス、フェイクパールジュエリーが人気に
なりました。
ピエール・バルマンは、1959年の春夏コレクションを「オーシャン・パール」と名付けて発表し、
フェイクパールに対抗するかのように、その冬にはジェット風の黒いジュエリーが氾濫しました。
コスチュームジュエリーの歴史1960年代
1957年ディオールが急死すると、その後継者としてイヴ・サンローランが抜擢されます。
60年代に入って彼は「シンプリシティ(美しい)」という考えでカルダンなど多数のクチュリエも同様
の作品を発表しました。
この頃から人々は多くの情報で、自分の着る服を選択していき流行は細分化します。
コスチュームジュエリーも、豪華でオーソドックスなネックレスが作られたり、過去にないデザインで
大きなものが製造されました。
クレオパトラが着用していたような太いバングルやフープイヤリングなど機能美にあふれた大きめの
ジュエリーで、服のアクセントにしていました。
コスチュームジュエリーの歴史1970年代
ファッションは多様化しフォクロア調や、エスニック調が注目されチャイナルック、インディアンルック
など民族衣装をヒントにしたデザインが出回りました。
一方でシャネルやジバンシーなどの正統派もあり、日本からはケンゾーやイッセイ・ミヤケがパリへ
進出し世界の舞台で脚光を浴びました。
服に合わせてジュエリーも同じ雰囲気のアクセサリーが作られオートクチュールのルールに縛られず自由
なアイデアに満ちたコスチュームジュエリーの制作になりました。